【マレーシアから遠距離介護】国際結婚、海外移住前に考える親の介護

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遠距離介護国際結婚するといつかは訪れる親の遠距離介護。
結婚するとき親はまだ元気なので、介護のことまで考えないかもしれません。

しかし月日はあっという間に過ぎていきます。

にいな
にいな

私は1993年に国際結婚し、1995年からマレーシアに住んでいます。

しばらくは親も元気で毎年マレーシアに遊びに来てくれました。

そんな親も年を取り弱ってきて病気になります。いつかは介護をしなければいけないだろうと覚悟が出来てきたつもりでしたが、いざその時になるとかなり焦りました。

父が他界した時は最期の1ヶ月一緒に過ごすことができ看取ることができたので、自分なりに納得のいくお別れができました。

しかし今は母が倒れて病院に入っています。母に何もしてあげられない自分が本当に辛いです。

国際結婚や海外移住する予定の人は将来の親の介護もよく考えて決断した方がいいと思うので、今遠距離介護になった自分の体験や気持ちをシェアさせて頂きます。

遠距離介護の母は転倒して骨折から

母が倒れたのはある年の7月のはじめでした。
きっかけは骨折でした。石につまずいて倒れた拍子に左腕を骨折して手術。

骨がもろく複雑骨折でセラミックを入れてつなぎ合わせた手術は3時間の予定が6時間かかりました。

手術後まあ年齢のこともあるしゆっくり治していこう、利き腕の右でなくてよかったねと話していた矢先なんと入院先の病院で脳梗塞になってしまったのです。

母は手術の影響なのか脳梗塞の後遺症で半身不随に。

にいな
にいな

腕の骨折のときはそれほど慌てませんでしたが、脳梗塞はショックでした。

しかも骨折した腕だけでなく、足も動かなくなり、左半身不随。
言葉もよく話せなくなったということですぐに仕事の休みをとって日本へ飛んでいきました。

【日本で親の介護】 遠距離介護の開始です

まだ介護というより看護ですが、病院へ行きました。
病院で変わりはてた母に会ったときはかなりのショック。

言語障害が出て言葉がうまく話せず、私のことはわかりますが母がなにを話しているかほとんど分かりません。

骨折した腕はもちろん左足も動かず、なんとも悲しい姿です。

言葉が上手く話せないので最初は脳に障害が出てしまったと思いましたが、ゆっくり話を聞くうちに全て理解しているという事が分かりました。

最初は本人も自分がどこまで話せているのかがわからなかったようで、今までのようにペラペラと話していたのが、ゆっくり話したほうが通じるんだとわかってきて、日がたつにつれ話し方のコツがつかめてきたようで、内容がかなりわかるようになってきました。

これから動かない左半身と言語障害のリハビリです。

脳梗塞などで麻痺が残った場合とにかく早期にリハビリをするのが大切なようで、母も肩の骨折の抜糸が終わるとすぐに本格的リハビリがはじまりました。

体もさることながら言葉のリハビリが大切です。

病院でも言葉が上手く出てこないと脳に支障が出たように思われ医療機関の方の対応も子供に接するようです。

「ごめんね~?」「ここ痛い~?」など年配の人にそれはないんじゃないと横で聞いていて悲しくなります。
きっと体は動かなくても母が普通に話せたらこんな赤ちゃん言葉を使われることはなかったのにと悔しくて仕方ありません。

これから認知症でわからない人でも母のように話せなくなってしまった人でも人生の先輩に対する言葉使いは気をつけようと強く思いました。

遠距離介護の母親がリハビリ病棟へ

病院生活が続いた母はまず精神的に参ってしまいました。

日々動かない体を思い知らされ、何をするにも人の手を借りなければいけない。
そして忙しい病院関係の方の中には言葉や態度のきつい方もいらっしゃいます。

今まで自分で全てバリバリやっていた母にとってそれはかなりの屈辱だったようで、それが精神状態をどんどん弱らせていきました。

通常の病院からリハビリ専門の病院へ移ってとにかくリハビリを頑張って少しでも自分で体を動かせるようにする!といっていた母が電話でよく泣くようになりました。

そして周囲の人に幻覚症状のようなありえないことを話すようになってきたのです。

せっかく頑張ろうと思っているリハビリにも影響が出てきて、病院で母の担当をしてくださっている方もなんとかしないといけないと思ってくださったようで、この場合やはり一番身近な娘さんに帰ってきてもらうのが一番いいのではないかと日本の家族に連絡がありました。

その話を聞いて私はすぐに母に会いに行くことを決心しました。

幸いこちらの家族も協力してくれたので、前回の帰国から1ヶ月ほどで再度日本へ行きました。

再び遠距離介護中の母親に会いに日本へ

今度は2週間ほどの滞在予定です。

毎日母の病院へ行き、側についていました。
リハビリ病棟は個室が1部屋しかなく大部屋を余儀なくされましたが、確かにここにずっといるとなると気が滅入ります。

日本の高齢化社会を目の当たりにした感じでした。

商売をしていた母はとにかく周りに気を使いながら過ごしています。

しかもずっとオーナーとしてやっていたプライドはしっかりあるため、周りが雑談で話していることも全て自分に対して言っていると思い込んでしまいます。

私が一緒にいて聞いていてたいしたことではないと思うようなことも、「ほらっ!」とひじでつついてくるのです。

そして私がそんなことないよと笑い飛ばそうとすると「しっ!聞こえたら復讐される」みたいなことを言うのです。

とにかくおびえてびくびくしています。

病院従事者の方も人ですからいつも優しい言葉をかけることもできないでしょうし、時にはきつくいわないといけないこともあるとはわかっているのですが、母のあまりにもおびえるその姿を見ると家族は心配になってしまいます。

家族がいる時といない時では態度が全然違うからと、私が帰る前にはもよおしていてもいなくても必ずトイレに行くといってきかないのです。

母は体が不自由になった分あらゆる感覚が敏感になったようで、人の観測も鋭くハッとさせられることばかりでした。

母を見て慎重すぎる日本を感じる

そして私がもう一つ感じたのは日本は慎重すぎるのではということです。

病院の中でたくさんの患者さんがいるときっといろいろなことがあるのでしょうが、そのいろいろなことを全て防ごうとして規律がどんどんできています。

そうすると全てのことが許されなくなるような感じです。

専門外の私がとやかく言うのはおかしいかもしれませんがあえて言わせていただくと、母のトイレにしても足の位置まで決められます。

もちろんさまざまの実証や経験をもとにそれが一番いい方法なんだろうなということはわかりますが、その位置に足を置かないといけないんだ!落第だ!みたいになると、もうそれができないと自分はだめなんだと思ってしまうのではないでしょうか。

私がトイレに連れて行って、ある程度教えてもらった方法でしますがあとは臨機応変。少々足の位置が違っていてもトイレはできます。

でも母は「そんなことしたらダメ。こうしないといけないと教えられた。こうしないと叱られる」というのです。

にいな
にいな

う~ん、何かがおかしいとずっと思いながら病院についていました。全てにおいてあまりにも慎重すぎるという気がしてなりません。

病院関係者の方は責任を問われる立場なので、決められたとおりにして事故があっても仕方ないとなるのかもしれません。

他人に任せるってことはそういうことなんですよね。

やはり自分の手で母を看たい。その気持ちがどんどん強くなっています。
しかし今の状態の母を海外に連れてくることは出来ません。

私が日本へ戻るかもっと頻繁に母に会いに行くしかありませんが、日本での生活費や交通費も大変です。きっといつか限界がくるでしょう。

母は今介護施設に入っています。
マレーシアの介護施設と日本の介護施設の違いもひしひしと感じました。
介護施設についてはこちらの記事で紹介します。

にいな
にいな

母が一番辛い時に遠方にいて何もしてあげられない、その罪悪感を毎日ずっしり感じています。

国際結婚を考えている人、海外へ移住を考えている人はこういう状況になる可能性もあることを十分踏まえて決めた方がいいと思います。
マレーシアの結婚生活についてこちらの記事に書いています。

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